理事長あいさつ

子どもオアシス光月荘にご関心をお寄せくださり誠にありがとうございます。

まず初めに、まさか私は理事長になるとは全く思っていませんでした。

社会人としての経験は極端に不足していますし、何よりも子ども時代に長きにわたって虐待を受けていたことから自分にこのような大きなことをする自信はありませんでした。

この法人を立ち上げたのは自分自身が虐待を受けた当事者で、同じ思いを世界のどんな子にもしてほしくないという思いからです。

素直に話すことが最善だと思うのでそのまま書きます。

実体験が苦手な方はお気をつけください。

いまだに心に残っている痛々しい記憶ですが、私は小学生の時 父にゴミ箱に捨てられました。

体を折りたたまれて入れられました。赤ちゃんがお腹の中で丸くなっているようなポーズでです。しかし膝が胸につくほど急な角度ででした。底の方へ落ちていく感覚、胸が圧迫され呼吸が苦しくなった感覚をよく覚えています。 父母は笑っていて「痛い!出して」と言っても助けようとはしません。背中にゴミ箱の金具が当たりスーッと縦に切れて少量血が出ていました。でもそれに気づいたのは後からでした。肉体的な痛みより、心の痛みの方が遥かに大きかったです。

どうしてこんなことするんだろう。自分がされて嫌なことを弱い立場の女の子にするんだろうと不思議に思いました。

その後も虐待は続き、母が包丁を手に完全に正気を失った状態で私の部屋まで来たことがありました。とっさに逃げなければという気持ちが湧いて、一生懸命逃げました。あの時、母は大声で私の名前を叫んでいて自宅から4軒ほど遠ざかっても、叫び声はまだ私を追いかけて来ていました。思い出しても辛い気持ちになりますが、事実です。

それから月日が経ち私が高校生の時、虐待は激化していて毎日死にたいという思いでいっぱいでした。連日朝まで続いた虐待により睡眠不足で授業中寝て周りに迷惑をかけてしまうのもしんどくなってしまい、家を出ても学校に行けなくなっていました。電車のホームで一人でおにぎりを食べていることもありましたが、自殺念慮が強くなるとそれも危ないと感じやめました。一人で線路を見ていると、突発的に飛び込んでいってしまいそうだったからです。

生きている意味などわからなくて、笑顔が消え全てのことに興味関心を失って、大切な髪の毛さえも自分で剃り上げ坊主にしてしまうくらい辛い毎日でした。

そんな日々が続き、ついにもう限界という日が来ました。私は夜の公園で泣きながら電話をかけていました。千葉市のホットラインでした、「もう限界です。このままでは死んでしまいそうです。助けてください」そして子どもシェルターに繋いでくださいました。その時、公園から見えた輝く月を忘れることができません。

父は私を捨てた。母も包丁を向けている。誰も助けてくれないと思った世界で、月だけは私を明るく照らし見守ってくれていると感じました。『貴方はひとりぼっちじゃないよ』と私に話しかけてくれている気がしました。12月の凍るような冷たさの中で頬に一雫の熱い涙が流れたのを感じました。

月だけは私を見捨てず煌々と輝きを放って、月の光で温かく包んでくれるんだなと感じました。

虐待を受けひとりぼっちで泣いているあの子を、

闇の中にいて光を見つけられずに絶望している子を

温かな月の光で心を癒してあげられたら

どんなに良いでしょうか

私が、あの時に見ていたあの月のように優しい光でありたい

それこそが法人の理念であり、私の心です。

子どもオアシス光月荘でゆっくりと月光のように優しく温かく接し、心を癒してあげて

子ども達の夢や将来の目標が出てきたら、その道を示すのもまた光月荘の役目だと思っています。

朧月のように子どもと共に悲しみに寄り添い

満月のように煌々と照らしその道を示す

自由自在にその姿を変えることができるのもまた月の魅力だと思います。

子ども達の心に寄り添い、いつまでもこの場所を守っていきたいと思います。

最後に。ご支援ご協力いただいている全ての方に心より感謝申し上げます。

NPO法人子どもオアシス光月荘

理事長 大田垣 光月